プファルツ城


2003年6月6日(金)・中編
 

1・シュテレンベルク城とリーベンシュタイン城

B42を南下、カンプ-ボルンホーフェンに入る。ここにある”敵対する兄弟城”なるものに寄ってみた。兄弟城とはシュテレンベルク城とリーベンシュタイン城であるが、「伝説によると、城主は互いに仲の悪い兄弟で、ポルンホーフェンの教会で相打ちになった。 2つの城は”不和の壁”で区切られている」 とビンゲンで買った絵マップ入りガイドには書かれている。

町から標識通りに進んで右にUターンするような形で林の中の道を上る。この道は途中で2つに分かれるが、まっすぐ行くとシュテレンベルク城、左へ行くとリーベンシュタイン城にたどり着く。左の道はでこぼこしたカープのきつい道だった。

まずはリーベンシュタイン城に行った。ここは古城ホテルになっているが、外観は古城でも室内は高級ホテルのように改装されている多数の古城ホテルとは違い、内装も古いままのホテルだ。 私はそれにけっこう惹かれて、また値段が高くないこともあり、出発前の旅の計画では、ここに泊まる事も1案として考えていた。

 

城内に入るとこんな感じである(上の写真左)。ガランとしているが、ライン川を見下ろすテラス席では何人かの人達が食事をしていた。 建物内部のレストランは誰もいなかったが、ここの窓からは隣のシュテレンベルク城がよく見渡せる。ホテルのおばさん断ってからシュテレンベルク城の全景をカメラに収める。レストランとギフトショップ以外はホテルとしての役割しか果たしていないらしい城なので、特に見るべきものが無く、ただ写真だけ撮らせてもらった私達であるが、ここにいたおばさんは嫌そうな顔ひとつせず感じが良かった。 城の全景写真(上の写真右)はシュテレンベルク城から撮影したもの。

 

次にシュテレンベルク城を見学。私達は門の手前の空き地に適当に駐車したが、橋を渡って門を入った所にはPのマークが出ていたので、車で入って行っていいらしい。ここはリーベンシュタイン城と比べて城壁がかなり沢山残っている。ここも古城ホテルになっているようだが、昼食時にもかかわらず内部のレストランには誰もいない。リーベンシュタイン城もそうだが、見学者はあまりやって来ないのだろうか?城の全景写真(上の写真右)は先程、リーベンシュタイン城から撮影したもの。

2・ねずみ城

引き続きライン川に沿って南下する。すぐにねずみ城が現れた。この城は昨日、対岸から見えたので撮影しておいたが、ここでもストップして写真を撮った。角度が違うとちょっと違うようにも見える。

写真を撮っていると、バイクの2人連れの男性にライン左岸にはどこから渡れるか?と聞かれた。絵地図を見ながら、この先のザンクト・ゴアースハウゼンで渡れるのではないか・・・と答えておいたが、この人達は地図とか持っていないのだろうか?
 

ザンクト・ゴアハウゼンに入ると丘の上にねこ城が見える。この城も昨日対岸から撮影済みだが、真下からも写真を撮った。私は「地球の歩き方」にも載っている”ねこ城とライン川をセットで上から捕らえた景色”を見たくて丘の上へと行ってみたが、結局よく分からず、大きな博物館みたいな場所に着いてしまった。

まぁ、いいか・・・。ねこ城とライン川のセットはあきらめ、次の目的地であるカウプに向かう。かなり上の方に上って来ているためB42には戻らず、地図を頼りにこのまま丘の上をいく草原の中の道路を進むことにした。

3・カウプ

14時前、カウプに到着。ここでの目的はライン川の中州に建っているプファルツ城だ。渡し船乗り場の前にあった駐車場(Pのマークがでていて無料)に車を停め、朝、ブラウバッハのパン屋で買ったクロワッサンで軽い昼食にした。ここには有料(30セントを入れないとドアが開かない)のトイレもあった。

プファルツ城行きの船乗り場(下の写真左)は川の中にプカプカと浮いている。他に待っている人もいないし、本当にここでいいのか?と思うような 小さな乗り場だ。船は月曜を除き30分ごとに運行されているようだが、お昼休みがあるので注意されたい。すぐ横にはライン左岸から の渡し船が着いたところだった(下の写真中央左)。暫く見ていたが、時刻表は特に無く、ある程度の乗客が揃うと出発しているようだった。

背後の丘の上にはグーテンフェルス城(上の写真中央右)が建っている。古城ホテルらしいが、HOTELのサインに違和感を感じないだろうか?船がやって来た。室内席のみ30人乗りくらいのボートである。運賃は2.00ユーロ(往復)、乗船の際に支払う。遠ざかっていくカウプの町が見えるが(上の写真右)、黄色の塔が建っている前が船乗り場になる。

4・プファルツ城

5分くらいでプファルツ城に到着。 城の入り口に立っているおじさんに料金(大人2.10ユーロ)を払い、見学用の資料を貸してもらう。 これは返却しなければならないのだが、日本語版もあった。

プファルツ城は中庭をぐるりと取り囲むような形で建てられており、中央には五角塔(高さ12m)と呼ばれる塔がある。ここの見学は個人で資料を見ながら番号順に周るという形だ。よく分からない部分も多いが、資料のメモと記憶を頼りに紹介していくと・・・。

1=暖炉(下の写真左から2番目)がある。とても暖炉には見えないが、税関吏たちが見張りに立つ時、敷石の上で火を焚いて暖をとったんだそうだ。2=地下牢への入り口と資料には書かれていたが・・・記憶にない。3=カタバルト(下の写真左から3番目)。ここから投石したと言う。 4=落し格子戸(下の写真右から3番目)。 上に載せた城の写真で分かると思うが、入り口の上には落し格子の戸がある。これを下ろす場所なのか?

5=3と同じようなカタバルトがあった。6=税関吏が見張りと居留をする部屋で(上の写真右から2番目)、城の中の立派な部屋の1つだそうだ。天井には丸い輪のようなものが付いているが、ここから鉄製のかごを下げて中で火を燃やした 、要するに、吊るし型ストーブのようなものを使ったらしい。 7=入り口の壁上方には傷が付いているが(上の写真右)、これは武器をといだ痕と言うことだ。 ここから上の階に上がる。

この階最初にあるのは、1=税関吏たちの居間と寝室だった部屋だ(下の写真左)。窓の1つからはプファルツ選候帝(日本語では選帝候という言葉が一般的に使われているのではないか?と思うが、貸し出し用の資料には選候帝とあった。ちなみに、選帝侯とは帝国領内にあって、ドイツ皇帝を選ぶ権利を持つ重要な地位である) ししの像が見下ろせるが、「1850年、ししの右足の部分が流氷で傷つけられた」と資料には書かれている。えっ?流氷って・・・、ライン川は凍結するのだろうか?肉眼で見る限り、その傷というのはよく分からない。

2=防御窓があるはずだが、何だったのか思い出せない。 3=17世紀のパン焼き釜(上の写真左から3番目)。スレートで作られていて、内部は粘土とレンガで仕上げられ、外はわらと粘土で熱を隔離しているそうだ。この後、城壁側から連絡通路を渡って五角塔に入る。 石の螺旋階段で上に行くが、この階段はものすごく狭く急な階段だった(上の写真右から3番目)。次に木製の階段がある(上の写真右から2番目)。これを上ると今度はハシゴがあるが(上の写真右)、ここから上は上れない。4=鐘があるらしいので、この上に鐘がある?と思われる。

五角塔から城壁側に戻ってくる。5=つり門の巻き上げ機である(下の写真左)。つり門とは落し格子戸のことを言っているのだろうか?外(下の写真左から2番目)から見るぶんには鎖は落し格子の”戸”に取り付けられている。  6=地下牢への昇降口(下の写真左から3番目 )。牢は深さが9メートルの井戸で、水の上に組まれた”いかだ” の上に税金が払えなかった商人たちが綱と横木を使って下ろされたんだそうだ。天井には綱を通す穴のようなものがあった。

7=所長の住居(上の写真右から3番目と4番目)。 ここには20名の税関吏と所長1名が働いていたそうだが、所長住宅には台所、居間、寝室がありけっこう広い。ここで子供も生まれたんだそうだ。 8=水洗トイレ(上の写真右とその隣 )。あえて水洗と書かれているのは、ライン川に流れたという意味だろうか?

続いて9=火薬庫と井戸、10、11もあるが見たのかどうか全然覚えていない。私達は14時30分の船でやって来たのだが、帰りは15時半の船に乗ろうと思っている。船の時間に間に合うように最後の方はかなり急ぎ足になってしまったのだ。私は別に16時の船でもいいではないか!と思うが、夫がせかせるのだ。まぁ、この後、リューデスハイムにも寄ってからヴィースバーデンまで行く事を考えると、時間が余っているわけではないので仕方がないか・・・。

さて、プファルツ城の見学はけっこう楽しめた。見学前の私のイメージは”船の形をしたかわいいお城”だったが、見学後の感想としては、守りの固い、どちらかと言うと陰湿な恐い雰囲気が漂う城・・・という感じもあった。外観のシンプルさに反して、内部の構造は入り組んでもいる。

船の時間は決まっているものの、山城と違ってアクセスもしやすいし、車のない旅行者にとっても比較的見学しやすい城なのではないか?と思う。


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