ニンフェンブルク城(2)


2003年5月30日(・中編

1・モノプテロス

バーデンブルクはバーデンブルク湖の南に建っているが、その向こうの方にモノプテロス(monopteros)が見える。いわゆる円形神殿のこと。バーデンブルクからは湖に沿って右回りに歩くコースと林の中を左回りに行くコースがあるが、私達は近道(10分弱)の左回りを通った。

モノプテロスでは写真の撮影が行われていた。別に進入禁止のサインもないのでその辺をウロウロしていたら、感じのいい男の人に撮影中なんであまり近づかないように言われた。彼が言うにはモデルは有名なドイツ女優( very famousと強調した)なんだそうで、それじゃ写真を撮ってもいいか?と私が聞くと、「早く撮ってね」とオーケーしてくれた。

果たしてモデルがどの程度の有名女優なのかは知らないが、「すみませ〜ん、ここからは車は入れないんで徒歩でお願いします」とか言って、宮殿からずっと林の中の道を歩いてきたんだろうか? モノプテロス周辺には着替えをするような場所や施設もなかったが、カメラマンと一緒にこんな格好で林の中を歩いていたら、かなり目立つと思う。 林の中はあまり人も歩いてはいなかったが、ドイツ人観光客に「わ〜っ、○○さんよ〜」とか 騒がれる事はないのだろうか?

2・パコーデンブルク

さて、モノプテロスから運河の反対側に渡り、パコーデンブルクにやって来た。ここはニンフェンブルク城の中で私がいちばん気に入った場所だ。 外観(下の写真左)、見取り図(下の写真右)でも分かるようにパコーデンブルクはとても小さな城館である。

見取り図の1(下の写真左)はホール。壁には例のごとくオランダ製のタイルが使われている。 上下右にはホールと同じデザインの小部屋( というか空間)があるが、各小部屋とホールの間には2枚開きのドアがあるものの 開け放たれていて、1階は部屋が1つといった感じだ。  この写真の奥に見えるドアの向こうは階段だが、幅も狭い ごく普通の木製の階段だった。

見取り図の4(下の写真中央左、中央)はBoudoir(ブゥ・ドゥワァ)。私はBoudoirは女性のベッドルームにある家具 かなんか?かと思っていたが、どうやら寝室そのものを指すらしい。2枚の写真のうち左のものにはベッドが写っているが、ここは見取り図では上に突き出た小部屋の部分に当たり、本来のベッドカバーはベッド背後の壁布と同じ物のようだ 。  小部屋と3の部屋の間に当たるのがその右隣の写真で、奥に見えているドアの向こうが3の部屋だ。手前に見えている鏡張りのドアは階段口にあるもの。

見取り図の2 (上の写真中央右と右)はChinese Drawing Room。普通、宮殿でDrawing Roomと言えば謁見室だが、ここでは中国風客間とでも言ったものだろうか? 2枚の写真のうち、縦長の写真は見取り図では下に突き出た形になっている小部屋に当たり、横長の写真は3の部屋(Chinese Cabinet)につながるドアを写している。3の部屋は全く見る事が出来ないが、ガイドブックの写真で見ると真っ赤なドアには中国絵が描かれていた。ちなみに、パコーデンブルクの部屋の中で直接入れるのはホールだけ、あとは全てロープで仕切られていて足を踏み入れる 事は出来ないのが残念だ。 角度の点から言って、写真も非常に撮りにくい。

3・マクダレーネンクラウゼ

この後、見学はマクダレーネンクラウゼに移る。マクダレーネンクラウゼは宮殿に近い場所にあり、運河を挟んでアマリエンブルクとは対称的な位置にある。

マクダレーネンクラウゼの入り口に座っていたおじいさん(写真右)、 ここで働いているのだが絶対に居眠りしていると思う。  ニンフェンブルク城に点在している城館には何処も係りの人が1人だけいたが、その人達の主な職務は何なのか?

皆、入り口でチケットに切り込みを入れる程度である。  アマリエンブルクでは係りの人は外でタバコを吸っていたし、だいたい何室もある部屋の全てを1人で監視する事は不可能だ。 入り口から奥に入った部屋で見学者が何をしようと分からないし、別に監視する気もないような感じだった。

パコーデンブルクには黒人のお兄さん風の係りの人がいたが、「2階に上がってもいいのか?」 の問いに「いいですよ。でも、フラッシュは使わないでね」 と注意らしきものを言われたくらいだ。 皆、それぞれの持ち場に1日中いなければならないのか?食べ物、飲み物などをカバンに入れて入り口に置いてあるのを見かけた。 勿論トイレはあるんだろうなぁ?

話をマクダレーネンクラウゼに戻すが、見取り図の2 (下の写真左)は Grotto Chapel of St.Mary Magdaleneという。意味の分からない単語が出てき辞書を引くが、Grotto=小さな洞穴、避暑用の岩屋とある。  ならば、聖マリア・マグダレネ洞窟チャペルとでも訳すのだろうか?
マリア・マグダレネは 復活したイエスが最初に出会った人間のうちの1人であるが、聖人の列に加えられているとは知らなかった。それにしてもSaint(St.)の付く人物がやたらと多いような気がする。

見取り図の1(下の写真中央2枚)は Entrance Hall。 デザイン的には2と同じである。貝殻をふんだんに壁に取り込んだ変わった装飾だ。ニンフェンブルク城では室内はフラッシュを使わなければ撮影可なのであるが、1の部屋の壁にはカメラに斜線が入った絵のサインが実はあった。撮ってから気が付いたので仕方ないよね・・・と勝手にこじつけた解釈をしたが、入り口のおじいさんはそんな事はどうでもいいのか?外にいるので気が付きもしない。

1と2の部屋は土足でいいが、3.4.5.6の部屋を見学するにはスリッパを履かなければならない。個人の旅行記で ”ホーエンツォレルン城ではスリッパを履く” というのを読んでいたので別に驚きもしなかったが、それと同じように靴の上から履くスリッパだった。 ハードウッドの床はスリッパを履くとスケートをしているようにツルツルと滑って面白い。

見取り図の4.5.6は写真がない(あるのだが載せる意味がないと思う)。見取り図の3 (上の写真右)はAntechamber。バーデンブルクにある Antechamber と同じ意味をなしているものと思う。 室内は木製のパネルがはめられているが、4.5.6も皆おなじようなインテリアだった。

12時半、小城館めぐりを終えて宮殿まで戻って来た。宮殿の下にあるトイレ(清掃係りの人がいてチップ皿もあったが、あまり きれいではなかったように記憶している )に行ったが、考えてみるとアマリエンブルク以下、個々の城館や庭園内ではトイレを見かけなかった。 案内の地図でもWC”とあるのは宮殿だけである。 だとすると、トイレは庭園を周る前に済ましておいた方が良いかもしれない。

日陰のベンチで朝作ったサンドイッチのお弁当を食べる。 例によって、朝食のパンにソーセージやチーズを挟んだだけのやつである。自宅から用意してきたジップロックも何かと重宝した。

4・馬車博物館

昼食後は宮殿横にある馬車博物館を見学。馬車と言っても王家の人達が乗った 豪華な馬車ばかりで、その豪華さに私は強烈な印象を受けた。

この6頭だての馬車は正に”金魂のかたまり”。こういう代物が 実際に戸外を走っていたのか と想像してみる と、ミュンヘンの目抜き通りならともかく、草原や林の中で埃を巻き上げて行く様は異様に映るような気がしてならない。

ルートヴィヒ2世が使用した黄金の馬車(下の写真 右)は、上の写真の馬車と比べてさらにロマンティックな感じが漂っている。隣の絵(下の写真中央 右)は、その馬車に乗っているルートヴィヒ2世を描いている。

 

雪の深いバイエルンでは 橇(そり)も頻繁に使われたようだが、ルートヴィヒ2世の橇(上の写真中央 左) とその橇に乗っている彼の絵(上の写真 左) を見ると、同じ橇である事が分かる?と思う。 この橇には王冠の形をした灯火があるが、この実物(下の写真左)も展示されていた。中にはロウソクを入れたようである。

橇の展示は幾つもあったが、こんな風に(下の 写真中央左)椅子が載せてあるだけみたいな橇は手すりも無いし、落ちたりしないのか?と思ったりする。普通っぽい馬車(下の写真中央)も展示されてい た。

馬車博物館の2階はニンフェンブルク陶磁器コレクションになっている。レジデンツでも同じような展示があったが、こんな旅行用の食器(上の写真中央 右) を使って馬車の中で食事をしたのだろうか?紙コップにプラスティックのフォークなんて今の時代とは全然違う・・・。また、時代を感じさせる乗り物(上の写真右)も あった。

こうして約5時間にわたるニンフェンブルク城の見学が終わった。 私的の感想としては、この城はかなり見ごたえがあると思う。 レジデンツでは広間とか儀式用の部屋も目立ったが、 ここは王侯貴族の生活感が感じられる小部屋の多い城という点で際立っていると言える。ベルサイユ宮殿のトリアノンのイメージに近い。


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