ヘレンキームゼー城(2)


2003年5月27日(火)・後半
 

1・古い城(Altes Schloss)

見学は古い城に移る(ガイドはOld Palaceと言っていたが、写真集ではAltes Schlossとなっている)。古い城は船着場のそばにあり、中庭をぐるっと囲む四角い形をしている。 もとは修道院だったらしい。

中庭に面した壁にかわいいだまし絵があった。上の写真左のAに当たるのが左から2番目の写真、Bに当たるのが右から2番目の写真である。 この2つの窓の隣は塞がれているが、ここにも絵を描く予定だったんだろうか? ABの左にあるのは日時計か?ドイツではどこの町でも城でも日時計をよく見かけた。

城内は博物館、または美術館になっている。 入場料は宮殿と共通なので、チケットを見せるだけでいい。ここの地下には近代的なトイレがあり( またしても、お湯は出ない)、館内はゆっくり座れる場所もあるので、休憩するにも良いと思う。

ルートヴィヒ2世が寝室に使った部屋 ( 左の写真左) と続き間になっている居間(左の写真右)があった。この寝室はさっき新宮殿で見てきたばかりの黄金の部屋と比べると雲泥の差がある。 それに、こんなのに体の大きい王が入りきるのか?と思うくらいベッドが小さい。ベッドカバーの上の方には白鳥の刺繍がしてあった。

 寝室の色がブルーなのに対して、居間(the study とあるので直訳すると勉強部屋または執務室か?居間の方が通りがいいのでこれで通す)は黄色がベース色だ。普通の邸宅の部屋の様子と言った雰囲気だが、目と鼻の先程の距離にある豪華絢爛の宮殿で10日だけでも過ごしてしまったら、もうここには戻れないのではないだろうか?

この部屋は 1948年に第2次世界大戦後の処理の一環として、ドイツの憲法を定める会議に使われた。 出席者の名前を見ても、当時のドイツの政治家の名前など全然知らないのでチンプンカンプンだが、 歴史的には重要な会議が開かれた場所らしい。
この部屋の隅に変なものを発見した。 これはどうみてもゴキブリホイホイの類ではないかと思うが、出るのだろうか?

あと、古い城では期間限定の絵画展が開かれていた。すぐそばに古い教会、湖の畔にかわいい教会がそれぞれある。

2・プリーン観光

14時45分の船でプリーンに戻る。船は朝よりもずっと混んでいた。 船そのものも行きに乗ったのより小さい。 向かいに座ったドイツ人の老夫婦が、夫の着ていたシャツにクレーター・レイク と刺繍がしてあるのに気づき、5年前にオレゴンに行った、カリフォルニアにも行った、バンクーバーにも行った・・・ 、と思い出話を聞かされた。何処に行っても日本人が沢山いて、「何で日本人は写真ばかり撮っているんだ?」とカメラを構えるポーズで聞かれたが、なるほど、景色はともかく機内やレストランで出された食事の写真を撮るのは日本人くらいのもんだろう。 下船の際に朝購入した船の切符を係員に見せると、切符は回収されてしまった。

夏のシーズン中はDBのプリーン駅から船乗り場までSLが走っているそうだが、この日はまだ運行されていなかった。船着場には そのSLが停車していて、もちろん中には入れないが、外から見るぶんには別にどうって事のない観光列車である。 が、数人のおじさんが乗車口をよじ登り、内部を見入っている車両があった。 私も見てみると・・・。
シートは赤いビロード張りであり、王族や貴族の特別列車のような雰囲気だった。このタイプの席は料金も高いのだろうが、乗ってみたい気がした。

 

15時ちょっと過ぎ、一旦ホテルに戻り下の売店で冷たい飲み物を買って休憩した後、プリーンの町の方まで散歩に出かけた。駅までの道順は知らないが、「地球の歩き方」によると、「歩く場合はSLの線路とほぼ平行に走るSeestr.を行く」とある。Seestr.はホテルがある道だが、車がけっこう走っているので線路沿いの裏道を歩くことにした。  SLはプリーン駅から出ているのだから、この線路を辿っていけば駅に着くはずだ。で、最後は 暫く線路から離れたが、この道を15分くらいのんびり歩いた所に駅はあった。
 

駅舎内には本屋があったので、夫は英語新聞を探していたが無かった。英字新聞はヴュルツブルクで買って以来、その後立ち寄った町では 何処も入手できないでいた。まぁ、いいではないか。旅行中なんだから何日か新聞が読めなくたって・・・と私は思うが、夫の場合は 何処へ行ってもテレビを見るか、新聞を読むか、または昼寝をするかのどれかである。

町の中心は駅とは反対側(つまり湖側ではない)にある。 この写真もその反対側から撮ったものだ。通りかかったスポーツ用品店で水筒を2つ購入した。水筒とは古い呼び方かもしれないが、要するにアルミ製?の飲み物を入れるボトルで、スイスの製品らしい。アメリカやカナダではこの手のボトルはプラスティック製が殆どであるため、アルミ製という点が珍しかったのだ。 このボトルはドイツ中どこでもよく見かけた。 遠足の小学生が持っているのもこのタイプだったので、こちらではポピュラーなんだろう。

マルクト広場で教会(Maria Himmelfahrt)に入った。写真を撮っていると 、やはり観光客らしい夫婦連れが入ってきたが、2人は中に入るなり胸のあたりで十字を切った。ここで私が写真を撮っているのが場違いのような気がして、早々に退出する。それに失礼な言い方だが、教会も毎日のように見学していると、どこも大して変わらない という気がしてきている。

帰りは大通り(Seestr.)を歩いた。やはり車が通るのでうるさいのと、若干の坂があるため、線路沿いの小道の方が歩きやすいと思う。

夕食はホテルのレストランで食べることにする。 考えてみれば、夕べは夕食抜きだったし、今日は朝食も昼食も パン、チーズ、ソーセージのスライス類のみだ。よ〜し、沢山食べるぞ!と食べる気満々だが、メニューがドイツ語のみで全然分からない。 部屋から「歩き方」を持ってきてメニューの研究をするが、あまり役には立たなかった。ここは湖なのだから魚にしようと、「魚はあるか?」と聞くとウエイトレスは「これだ!」とメニューを指す。

出て来たのはレモン味のホワイトソースがかかった焼き魚だったが、味の方はまぁまぁか?小骨が沢山あってちょっと食べにくいのが難だ。夫は何だかよく分からないまま、ポークの塊を食べていた。 夕食後、雷が鳴り出し、大雨が降る。


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