マーケットでは何も買わなかったが、ドラッグストアに行った。夫はドイツに来る前から風邪をひいていて薬は持参して来てはいたが、喉の薬が欲しいと言うのである。が、店内をぐるぐると歩いても薬という薬が見当たらない。タイレノール(アメリカ、カナダで1番ポピュラーな鎮静薬または風邪薬)くらいはあるんじゃないかと勝手に思っていたが、あるのはハーブ系の漢方薬みたいのばかりだ。 後になって分かったのだが、ドイツではいわゆる”薬”は赤いA のマークが出ている薬局でしか売っていない らしい。 ここではハーブ系の喉の薬らしきものとメーク用品、水などを買っておいた。
10時15分、ネルトリンゲンを出発。
今日はホーエンシュヴァンガウまで移動するのだが、途中でハールブルク城を見学したいと思っている。ハールブルク城はネルトリンゲンの次の町ハールブルクにあるが、交通の便が悪いので車でないと行けないらしい。であれば、レンタカーで旅行していて行かない手はない。
B25 を南下、15〜20分ほど走ったところでいきなり前方にハールブルク城が現れた。 あまり急なんで写真を撮ることも出来ない。標識に従いトンネルの手前を右折。すると・・・道路の両脇に羊がいっぱいという場面に出くわした。こんな所で羊の群れに出会えるなんて思ってもいなかったので、「すごい!見て見て!」とかなり興奮する。 写真の後方に見えている芝生の丘をぐるっと上った所に城があり、駐車場(と言っても、ただの空き地で無料)は城を通り越した辺りにある。 ここからは城内の案内図(下の写真左)を見ながら説明しよう。 城壁内に入るとそこは中庭になっている。左手の建物(案内図5)にギフトショップがあり、ここでガイドツアーのチケット(大人
4.75ユーロ)を買う。この建物はプレッシェルの看板が掛かっている通り、元々はベーカリーだったんだそうだ。 ツアーはベーカリーの建物手前にある芝生の部分から始まった。 この芝生の庭は元は畑として使われていたもので、城が敵に包囲され町まで食料の買出しに行けない場合でも、14日分の食料をこの畑から確保できたんだそうだ。 14日分と言っても人数によるので、「その当時、城には何人くらいの人がいたのか?」と質問すると、「We think there were fifty to sixty people」 という答えが返ってきた。以外と少ない? もと畑の庭の奥から城壁の上に登る。ツアーでは中庭を取り囲む建物を見学するのであるが、建物から建物への移動はこの城壁の上を歩くのだ。 城壁には敵を迎え撃つための仕掛けや工夫が幾つもあった。 例えば、木で出来たボールみたいな物が壁にはめ込まれているが、ボールの中心は筒状の空洞になっていてそこに鉄砲を入れることが できる。ボールはクルクルと回るので、これで撃つ方向を変えることができる(下の写真中央左)。 城壁内へ入る門には落し格子の扉が付いているが( 下の写真右)、敵が攻めて来ると落し格子 を下ろすのは勿論、城壁の上にある四角い穴 (下の写真中央右) から熱湯、熱した油、石等あるものを何でも落して敵を攻撃したんだそうだ。日本の城にもあるような仕掛けだが、ドイツも同じかと思うとけっこう興味深い。 城門の上を通り過ぎると2つの建物が寄り添うように建っている。最初の建物(下の写真右、上にある城の案内図では12)では3階(6つ窓が並んでいる階)にある5部屋のうち4部屋を見学する(内部は写真撮影禁止)。 中央に見える窓2つは縦に長いホールのような部屋で、城壁からの入り口もこの部屋にある。ここはプリンス (ガイドが説明に使う言葉はいつもプリンスで キングは出てこない。 この城はプリンスの城でキングは別の城にいたらしい)の執務室だったそうだ。 白壁にタイル張りの床、机や引き出しも簡素だが、天井にはがっしりとした梁が何本もあり、紺色と金色のベースで模様が描かれているのが立派だった。 中庭から見て執務室の左、窓2つ分はセクレタリーの部屋である。開いているドアから中を覗くことしか出来ないが、大きな机の上に棚が何段かあって 図面のようなものが積み上げられていた。これらは昔の地図で、全て当時のままのオリジナルらしい。ここの後ろにも1つ部屋があるが閉まっている。 プリンスの執務室の右側とその奥(城壁側)の2室は、家具が置かれているためか多少の生活感が感じられる。歴代城主の写真がパネルに紹介されていたが、それによると現在の城主には、1971年生まれ(女)、1972年生まれ(男)、1978年生まれ(男)の3人の子供がいるらしい。1995年に生まれた孫息子の写真まであったが、皆どことなく高貴な感じが漂っているように思えるのは気のせいだろうか?長男夫人はティアラを付けていたが、ダイヤモンドのティアラ=貴婦人の象徴である。 時代は移り変わっても、私とは全然関係のないところで、家柄とか財産とか階級とかタイトルとか言うものが確かに存在している・・・としみじみと 感じた。ちなみにここの城主は他にもあと2つの城を一般に公開しており、自分達は別のプレイベートな城に住んでいるんだそうだ。全部で4つかぁ・・・。 見学はこの建物の隣にある塔(上の写真で左の建物、案内図13)に移る。ここは牢獄として使われていた。城壁から入ってすぐの階には中央に「井戸かな?」と思うような四角い穴が開いている。中を覗き込むと、はるか下の方にワラの上に座っている囚人( もちろん蝋人形)が見えた。 地下が牢獄になっているのであるが、入り口はこの穴しかない。水や食料もここからロープで下ろしていたんだそうだ。 この階の隅には壁の背後に回リこむ狭い入り口みたいなものがあった。ガイドが「行って覗いてみて下さい」と言うので中に入ってみると・・・ 、トイレだった。ヴュルツブルクのレジデンツで見た豪華な椅子式トイレとは大違いだが、こっちの原始的トイレの方が落ち着くような気もする。 ここから1つ上の階にはハシゴみたいな階段を上って行く。上階には小部屋(牢)が2つあるが、 2つの部屋の間にはオーブンがあり、点火すると牢の中は暑くていたたまれなくなる・・・ と言ういわゆる拷問部屋である。塔の内部の壁には拷問用の器具が吊るされており、実際に触ってみることができる。 私は拷問道具なんて怖いものは興味がないので行かなかったが、ローテンブルクにある中世犯罪博物館の展示物の一部と同種のものだそうだ。 この塔の他にも城内には牢が幾つかあったが、牢に入れられたのはどんな人達だったんだろう? 私は捕らえられた敵等が投げ込まれたのかと思っていたが、規則に違反した人なども入れられたそうだ。 例えば、「マーガレットという女性がダンスに出かけた時、門限を過ぎてから城に戻って来たため牢に入れられた」 という記録が残っているらしい。また、城主の悪口など言論の自由で引っかかった人も 牢獄行きだったんでそうだ。
塔の後に見学するのは大広間のある建物 (案内図14)である。裏から中に入ると、この建物が他と比べて新しい建築物であるのが分かる。 重厚な木造りの階段を上って通された部屋はバンケットルームだった。ハードウッドの床にクリーム色の壁、天井や窓の上には淡い色調の装飾が施されている。ガイドがテープレ コーダーのスイッチを入れて音楽を流した。こんな音楽に合せて舞踏会が催されていたんだろう(写真右)。 天井画についてガイドは、「画家は有名ではないが、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じテクニックを持っていて、どの方角から見ても絵の中の人物が自分の方を見ているように見える」と自慢げに言っていた。でも、そういうのは良く耳にするような気がするが・・・。この天井画、部屋の明るいイメージとは対照的に全体的に暗い色を使っている。もともとはどこか別の場所にあったものを、この城に持ってきたためだそうだ。
中庭に面しているドアから出て来て
ツアーは終わりとなるが、最後にガイドが外壁に彫り込まれていた数字について説明した。 3けた目の数字は8のような0のような変な形をしているが、これは8の上半分しか描いていないのである。 8の半分つまり”4”を意味していて、この建物は1496年に建てられたという事になる。横にはもう1つパレスと呼ばれる建物があるが、見学は出来ないらしい。
12時15分、ハールブルク城を後にする。次の町ドナウヴェルトまでは引き続きB25を走る。
バックミラーに城の全景が写った。急いで車を止めて写真に収める。城の近くからでは全体像が入るような写真が撮れなかったのだ。
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